みなさん中国は語るとき、中国四千年の歴史だからとちゃかしながらよく口にされることが多いとおもいます。(漢方薬のCMなどによく使われてそうですが)では中国は本当に4000年もの歴史があるのでしょうか?
確かに中国は歴史の膨大データーを保有しており、アジア圏において古来より広大な領土・最も富強な国家であったのは間違いなく、他国の歴史をも含め、現在にいたるまでの多くを文字として歴史を集積(日本になじみ深い・邪馬台国の記述で著名な魏志倭人伝など)しております(抹殺された歴史もあるでしょうけどね、歴史とは原則的に勝者のものです)。
中国の人たちのイメージといえばたいていのかたは、日本人とおなじ黒髪のモンゴロイド・漢民族・自転車による移動などが思い浮かばれるでしょうが、中国はアメリカと同様、いにしえより現在にいたるまで多民族国家です。
その広大な領土のなかには、金髪の中国人・アラブ系中国人がいらっしゃるわけです。
その多民族性が多くの文化・技術を吸収し、産業革命以前の国家としての先進性を維持してきたもの考えられるわけです。
政治的にも多民族を抱えたうえでの政策・制度・権力者が誕生したわけです。権力者ひとつを例にあげれば、唐の時代、安史の乱(この反乱が原因にて玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇がおこり・楊貴妃は皇帝により殺害される)にて有名な安禄山・史思明両人も、またトルコ系・ウズベキスタン系のコーカソイド(白人種)であったといわれ、唐軍を破り、一時は双方とも自ら大燕皇帝を名のり権勢をふるいます。史思明と同族の唐代初期の武将(高官)史道路は遺体より彼がコーカソイドであったことが立証されており、政治中枢にまで人種関係なく(貴族政治への反発・脱却など諸因はありますが)有能な人材が登用されていたことがうかがえます。
また、学校の教科書で一度は拝見したでしょう、だれもが知っている紀元前221年に中国最初の統一王朝秦初代皇帝となった、始皇帝 政、彼もまた胡人(イラン系白人種)であったとの伝説があり、一説には金髪碧眼であったとも、赤い髪・青い目・高い鼻と白人種の特徴が顕著であったとも謂われています。
始皇帝が実施したその政策は、アケメネス朝ペルシャ(秦の中国統一の少し前に滅亡)の制度とよくにており、その関連性は否定できず、中国歴史家のなかでも秦帝国の存在は後の王朝と区別されて考えられるべきとの見解を有している方も多数おられます。
但し、始皇帝の出生については諸伝・伝聞(家臣呂不偉の子供など)が多くその血脈が判然とせず、王朝の系譜を断定することはできませんが、この帝国の設立に際し異民族・異文化の敵対・流入・融合が背景にあったことは間違いないでしょう。(白人種が優秀な人種と申し上げているわけではないので誤解なきよう)
さて、この中国最初の統一王朝 秦の始皇帝(紀元前259年〜210年)による儒者達への弾圧の手段として用いられた焚書により、儒書・史書の多くを失ったと思われ、なかには歴史を解き明かすには重要であるものも含まれていたことは間違いないでしょう。
秦帝国勃興・成立以前の史実性が薄くなり、伝説・言い伝えの域を超えないものになってしまったのです。
この事由は中国だけではなく日本をも含め全世界的に共通していることです、勝者は自身に都合の悪いことは、歴史より抹消したがるものです。
秦帝国の中国統一は、紀元前221年現在もうすぐ2005年ですがおよそ2226年前の出来事です。4000千年の歴史には遠く及びません(とはいっても日本史でいえば卑弥呼生存期の500年近く前です)。
では秦成立以前の中国はいかなる国家または王朝があったのか、少ない史書・伝説をもふまえ追跡してみたいとおもいます。
秦王朝以前の中国史
紀元前403年〜221年
戦国時代(東周) 韓 秦 趙 斉 燕 楚 魏 戦国7雄の時代 周は一小国にすぎなくなり、後に秦の始皇帝に滅ぼされる。
▼紀元前770年〜403年
春秋時代(西周) 13諸侯 群雄割拠の時代 周は名ばかりの盟主
▼紀元前1023年〜770年
周王朝 武王が商(殷)の紂王(説明の必要はないですね)を倒し王朝を設立
(太公望 の時代ですね)
▼紀元前1751年〜1023年
商(殷)王朝 湯王が夏の桀王(とんでもない暴君との伝説あり)を倒し王朝成立
▼紀元前2100年頃〜1751年
夏王朝(夏后)(18代・471年続いたといわれる)
伝説の五帝 舜より禅譲された禹(治水伝説をもつ)が始祖、その子啓のより世襲王統が成立した。
以上が秦以前の中国の王朝なわけです。
紀元前2000年前が、現在から4000年まえになるわけです。あるではないですが、4000年前の王朝が夏王朝ですね、こちらの時代は、いわゆる黄河文明のなかの後期竜山文明晩期と重なり、その都市国家の集合体の盟主と考えられておりますが、実のところ商王朝の実在は確認されていたのですが、夏王朝は、実在しない伝説の王朝とされておりました。
ところが見つかったのですよ。二里頭文明の発祥とともに発展したはずの、都市規模で10万uの規模をもちと東西300m・南北370mの宮殿規模をもつ二里頭遺跡内都市遺跡がです。(2004年7月発見・現在さらに調査中)これが夏王朝の都市史跡と考えられます。
次回 発見された、中国4000年の歴史の原点ともいえる二里頭都市遺跡についてのご紹介・発掘現況などレポート致します。
中国4000年の歴史という言葉は真実でした。消された歴史のなかにも伝説や言い伝えとなり真実を伝えていることは現実として存在するのだと実感する、若輩ものの小生でありました。